「親ガチャ」ってどういう意味? – 暴走する能力主義と世代間の分断

「親ガチャ」ってどういう意味? - 機会の不平等と世代間の分断

現在の日本でよく使われる言葉に「親ガチャ」というものがあります。日本語の「親」という言葉は、両親のことであり、もちろん選ぶことができないものです。「ガチャ」は運に左右される要素のイメージを持った言葉です。親も運もどちらも本人の努力では変えられないものです。

この記事では日本語の新しい言葉である「親ガチャ」について説明したいと思います。

「親ガチャ」って何?

まず「親」という言葉についてはあらためて説明するまでもないでしょう。皆さんもよく知っているであろう意味です。隠された意味はありません。

そこで次に「ガチャ」という言葉の背景を説明します。ガチャとは、日本では主にスマートフォンでプレイするオンラインゲームで使われている要素のことを指します。

基本的にガチャの結果は運だけで決まります。ガチャの結果によってプレイヤーは、他のプレイヤーよりも有利な能力を持つキャラクターでゲームをプレイできたり、有利にゲームを進められる装備を入手できたりします。ガチャは多くのゲームにおいて仮想ではない現実のお金を課金する必要があり、そのためギャンブル性が高いと言われていて、そのため社会問題として取り上げられることも多いのです。

話を親ガチャに戻します。言うまでもないことですが、誰もどんな両親のもとに生まれてくるかを選ぶことはできないし、失敗したからと選び直すこともできない。

私たちはみな生まれた環境を受け入れるしかなく、個人の人生がどのようなものになるかは、その人が所属する社会とその人自身の決断によります。

つまり、「どんな親のもとに生まれるか」という人生最初の大きなイベント(the event)を、100パーセント運任せで自分の判断ではどうにもならないゲームの要素になぞらえて表現したのが「親ガチャ」という言葉なのです。

カプセルトイ(通称:ガチャガチャ)の自動販売機
カプセルトイ(通称:ガチャガチャ)の自動販売機

1970年代に生まれた私は、「ガチャガチャ」と呼ばれたカプセルトイの自動販売機を懐かしく思い出します。子どもたちは、なけなしのお小遣いから100円を捻出して自動販売機に入れ、祈るような思いでハンドルを回したものです。

カプセルの中にはいろいろな小さなおもちゃが入っていますが、100円で手に入るのは一つのカプセルだけです。何が出るかはカプセルを開けるまでわからない。「ガチャ」という言葉は、カプセルトイの自動販売機のハンドルを回すときの音を表す擬音語で、インターネットやスマホゲームの時代になっても「運任せ」を表す言葉として時代を超えて受け継がれているのです。

皮肉と悲観、閉塞感

さて、この「親ガチャ」という言葉の成り立ちがわかったところで、この言葉が使われるときの話し手の気持ちの説明に移りましょう。

親ガチャという言葉は基本的に、ネガティブ(negative)な文脈で使われます。「親ガチャで失敗したから、いい大学に行けなかった」「私は親に虐待されて育った。親ガチャに失敗した 」というように、否定的かつ悲観的な文脈で使われることがほとんどです。

「自分は親ガチャに成功して、多額の教育費をかけてもらい一流大学に入って、大企業に就職して、お金の心配もなく、毎日楽しく暮らしている」という文脈で「親ガチャ」という言葉が使われることはほぼありません。

このように親ガチャという言葉はポジティブな文脈で使われることは極めてまれであり、当事者が 「私は親ガチャに成功したから成功できた」と表現することは極めてまれです。これについては後述しますが、現在の日本では親ガチャという言葉はある種タブー視されている傾向があるためで、特に親ガチャの成功者が自信満々にそれを語ることは、特に親ガチャに失敗した人たちとの間に様々な軋轢や摩擦を生む危険性をはらんでいるからだと思います。

つまり、親ガチャという言葉は、人生最初のもしかしたら最大のゲームに負けた人たちが自身を悲観まじりに皮肉るために使うもので、それは閉塞感が漂う日本の社会を象徴しているともいえます。

社会的背景

親ガチャという言葉が生まれ、広く使われるようになった社会的背景には、大きく2つの要因があると思います。ひとつは世代間の分断と格差、もうひとつは現在の日本に蔓延している過度な実力主義です。

世代間の分断

親ガチャという言葉を使うのは、主に一定以下の年齢の若い世代です。逆に上の世代は、このような言葉を使うことを、とんでもなく不遜や横柄なことだと考えるのが自然です。これは現在の日本における深刻な世代間の分断、または対立を示しています。

儒教の影響(目上や年上の人には敬意を払うべきだ)

4世紀に中国から伝来した儒教は、日本の文化や個人の判断に多大な影響を与えています。儒教では、親は絶対的な存在であり、たとえ間違っていても親の間違いを指摘することは不道徳とされます。

言うまでもないことですが、こうした考え方は支配者にとって非常に都合がいい。日本が革命の末に旧体制の支配者を処刑するような大変革を一度も経験していないのは、この儒教の考え方があるからだと言う人もいます。

世代間の分断と格差

上述したように、一定以上より年齢が上の世代の人たちにとっては「親ガチャ」という言葉は非常に不遜な表現であり、親に対する敬意を欠いた馬鹿げた表現であるという意見が多い。ここには深刻な世代間格差が表れているということはすでに述べました。

今の日本の高齢者は、日本がとても豊かであった時代に生き、人生のチャンスという点で多大な恩恵を受けており、生きている限り、支払った額をはるかに超える年金を受け取ることが保証されているのです。

いっぽう、若い世代の年金支給年齢は引き上げられ、若い世代の中には「将来、本当に年金をもらえるのか」と不安に思う人も少なくない。日本の年金制度は破綻するという意見もしばしばみられます。

こうした社会的背景から、一定以上より年齢が上の世代を「勝ち逃げ世代」などと呼ぶ風潮が生まれてきたのです。自分が勝っているからといって、他の参加者のことなどお構いなしに勝負(ゲーム)から逃げようとするズルい世代、という意味です。

以下は私の意見ですが、高齢者のすべてが裕福なわけではなく、高齢者も少なくとも30年以上続く不況の中で必死に生きているわけです。

ですが、そうしたこともあって高齢者には、自分より恵まれていない若い世代を思いやるという視点が欠けている人が少なくないと思います。自分の世代の利益を守ることに必死で、次の世代のことなど考えてもいない人が多い。

こうした理不尽ともいえる状況にあっても、若い世代は儒教の教えに基づき、親やお年寄りを最大限に敬うことが要求される。若い世代が感じている閉塞感は、こうしたことに起因しているのではないかと思います。

過度な能力主義

親ガチャという言葉が生まれて使われるようになった背景には、現在の日本を支配している、現実を無視した過度な実力主義も要因の一つとして見過ごすことはできません。

高齢者と同じように、若い世代の中で社会的に成功している人たちもまた、親ガチャという言葉を使うことを避けるだけでなく、そのような概念の存在そのものに嫌悪感を示す傾向があるのです。

説明を続ける前にまず、この記事でいう「成功者」の定義を説明します。

2019年の厚生労働省の統計によると、日本人の平均年収は552万円です。そして、この統計によると、平均以上の収入を得ている日本人の割合は、全体の約35パーセントとなっています。そこで今回は、平均以上の収入を得ている人たちをすべて、成功者と定義してみたいと思います。

つまり、この記事でいう「成功者」は億万長者というわけではなく、ごくありふれた普通の労働者、しかし全体の35パーセントに含まれる人たちも含みます。この点は重要ですので押さえておいてください。

成功者は親ガチャを認めない

今の日本では、社会的に成功した人は、その成功をすべて個人の努力に帰結させる傾向があります。遺伝子や親の経済力、教育に費やされた金額、親の学歴などの要素はすべて無視され、どんな目標も個人の努力で達成できるといった非現実的な考え方が、少なくとも公の場での発言では主流となっています。

こうした主張が非現実的であることは、日本最高の学府である東京大学が毎年実施している「学生生活実態調査」に表れています。2020年度版の調査結果によれば、東京大学の学生の親の年収は1,000万円以上が最も多く42.5パーセントとなっています。

遺伝的にIQが低い、親が貧しい、親が無教養など、個人の人生に大きな影響を与える要因は考慮されず、そんなことを考慮してはいけないとでも言わんばかりの風潮がある。こうした、個人の努力では解決できないような要因によって成功できない、幸せになれないと主張しようものなら、その人は周りの人や社会から非常に強い批判を受け、拒絶されることになります。

この記事で日本の社会システムを事細かに説明することは控えますが、現在の日本には、このような恵まれない人たちを助けて格差を是正することができる、少なくとも人間らしい水準で人生をスタートできるよう支援することができる社会システムはありません。社会福祉政策にしても奨学金制度にしても、非常に弱いと言わざるを得ません。

現実離れした暴走する能力主義と貧弱すぎる格差是正システムが組み合わさった結果は悲劇的です。つまり、今の日本では、社会で成功できない人は、単に運が悪いというだけでなく、努力をしない、社会に貢献しない、単なる怠け者だと認識されてしまうということです。

これは私の個人的な意見ですが、このような考え方は公平ではなく、そこに正義はないことは言うまでもありません。遺伝子や生育環境の影響を抜きにした能力万能主義は非科学的であり、なによりも深刻な社会的差別を生む原因となっていると思います。

この風潮の最大の問題点は、差別する側が、自分が誰かを差別しているという自覚を持てなくなることです。

恵まれた環境に生まれ、親の財産を使って高い教育を受け、社会で成功した人は、それを堂々と誇るべきであり、恵まれた環境に生まれなかった人たちを努力不足だと攻撃するのは間違っています。さらに、親ガチャに勝利を収めて成功した人に対する嫉妬を回避するための道具として恵まれない人を利用することは、汚い手口だといえます。

少なくとも現在の日本の社会システムでは、遺伝子や親の属性といった重要な要素を無視して、個人の努力だけで社会的成功の要因を論じることはできません。そこには公平性がありません。

有利な環境に生まれることができなかった個人が、有利な環境に生まれた個人と公平に競争できる環境が実現して初めて、努力を論じる準備が整ったと言えるのではないでしょうか。

終わりに

比較的新しい言葉である「親ガチャ」は、高齢者と若者の間に存在する深刻な世代間格差を表しており、さらに日本に蔓延する行き過ぎた実力主義に対する人々の抵抗の意思の表れでもあると、私は思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

You can also subscribe on SNS.