【小顔と日本文化】「顔小さいね!」ってどんな意味なの?

「顔小さいね!」ってどんな意味なの?

あなたが誰かから「顔小さいね!」と言われた場面を想像してみてください。読者の多くの方はとまどうのではないでしょうか。この言葉がはたして、ほめ言葉なのか、それとも相手をけなす言葉なのか理解できないと感じるかもしれません。

今回の記事では、皆さんが日本人と会話するときに混乱しなくてすむように、みなさんに日本における「小顔(小さな顔)」について、私の意見を述べたいと思います。

ほめ言葉です

はじめに言ってしまいますが、私はこの奇妙な「小顔崇拝/小顔礼賛」とでもいうべきものについて「なぜ」という質問への答えは持ち合わせていないのです。日本で生まれてからずっと日本で育った私であるにもかかわらずです。この点をまずはおわびしなければなりません。

ですので、この記事でお伝えできることはこの「小顔」現象についての説明と、私の仮説としての「なぜ」を説明するにとどまります。

まずはじめに「顔小さいね!」という言葉は完全にほめ言葉であることを述べたいと思います。この言葉にはなんらの隠された意味や二重の意味はありません。ですので、もしあなたがこの言葉を日本人から言われたとしたら、それは最高のほめ言葉(賛辞)であり、あなたは彼ら/彼女らからうらやましいと思われていると理解して間違いありません。

説明の必要はないかもしれませんが、一応説明しておくと、誰かに「顔が大きいね」という場合、それは相手をけなすための言葉であるか、またはからかうための言葉として用いられます。

ここまでで多くの読者が、私が何を言っているのか理解できないと感じたのではないでしょうか。ですのでもう少し説明をつけ加えたいと思います。

この「小顔崇拝」現象を理解するためには、あなたは2つの事実を理解する必要があります。

最初に理解すべきことは、日本の文化では他人の体形や外見に言及したり意見したりすることは、多くの場合において深刻に失礼な行為ではないという事実です。

次に理解すべきことは、近年の日本では人の頭の大きさが非常に重要な美の基準になっているという事実です。

「太ったねえ」は、ほとんどあいさつみたいなものです

日本の文化では、しばらく会っていなかった人たちの間で「あなた太ったね」と言い合うことはしばしばみられることです。具体的には同僚、友達、知人、息子や娘と親などです。

これは体重が増えた時だけに限りません。逆に痩せて体重が減った時には「あなた痩せたね!」と言い合うのです。

同様に、誰かのことをからかうために「お前、短足だなあ」などと言ったり、逆に誰かをほめたりうらやんだりするときに「あなた脚が長いねえ。うらやましいよ」などと言います。

読者の中には、そもそも他人の体形のことについて言及すること自体が不可解であり、そんなことをする必要性がどこにあるのかと憤慨した方もおられるかもしれない。世界には、こうした発言が極めて失礼なこととして受け止められる文化があることを私は知っています。

これは私の個人的な意見ですが、これは日本が歴史の中で起きた重大な飢饉や、第二次世界大戦後の深刻な食糧不足を経験してきたことと関係があるのではないかと思います。つまり過去の日本人は太っていることが幸福の象徴であると考えていたのではないか、ということです。

四肢の長さについては、歴史上、他の民族との交わりを経験していない日本文化がもつ同質性によるところが大きいと思います。

複数の民族で構成された文化では、他人の外見に言及することはすなわち、その人の起源(roots)に触れることを避けられなくなる。それはしばしば差別や偏見を生むもととなります。だからこうした話題は少なくとも成熟した大人の間では避けることがマナーとなります。

しかし、歴史的に日本の文化はそのような経験をしてきていません。ですので日本人同士であれば、大まかに相手の起源を推定することは難しくなく、そしてそれはだいたい当たっていることが多い。ここでは同調性(conformity)と同質性(homogeneous)が有用なコミュニケーションのための道具として使用されています。

言い換えれば、日本人でも四肢の長さは個人によって異なるでしょうが、肌の色、髪の色、価値観、起源、そうしたものは、日本人であればそれほど大きく変わることはないということです。

こうした背景から、日本の文化では他人の体形に言及することが深刻な差別や偏見のもとになるとは考えられておらず、許容されているのだと思います。

「小顔」は、かけがえのない美です

現代の日本では、人の頭の大きさが、その人が美しいかどうかを決める上で非常に重要な尺度だと考えられています。この考え方は男性、女性に限らず用いられていますが、どちらかといえば女性の美を決めるうえで、より重視されています。言い換えれば、女性の方がより強い重圧にさらされているといえます。もちろん男性もハンサムであると評価されるためには小さな頭部である必要があります。

芸能人と小顔

芸能人と小顔

この考え方は俳優や歌手といった個人の外見が仕事に直結する、いわゆる芸能人の世界では、より重要になります。

たとえば、もしあなたが日本に生まれて、生物学的にもアジア人で、ハンサムな男性または美しい女性であったと想像してください。そんな魅力的なあなたは、自身の魅力を活用して俳優として成功したいと考えたとします。

小顔というフィルター

しかし、もしあなたの頭部が大きかったなら、あなたが成功して有名になることは非常に困難になります。美しい顔が、大きな頭部との組み合わせによって逆に障害になってしまうのです。

現代の日本では、あなたの顔がどれだけ美しくとも、大きな頭部はこっけいだと受け止められ、嘲笑の対象となりやすい。これは言うまでもなく、美の象徴になりたいと願ったりセクシーさを表現して尊敬を集めようとする個人にとって、大きな壁となります。

わかりやすい海外の有名人を例に出すと、トム・クルーズアン・ハサウェイ, ブラッド・ピットジョージ・クルーニーマーゴット・ロビーライアン・ゴズリングといった、彼らの俳優としてのイメージと地位にとって美男・美女であることが重要な俳優がいます。

もしあなたが日本で彼らのような位置にある芸能人として成功を収めたいと考えても、頭部が大きければそれは困難になる、ということです。

例えばテレビのドラマを制作するにあたって、ヒロイン役の女優を選ばなければいけないとする。その候補である一人の女優はとても美しく個性的な顔立ちをしていたとする。だが彼女の頭部の大きさは周りの共演者たちと比べて明らかに大きいとする。

この物語の中で、ヒロインは多くの男性から好意を寄せられ、ほかの女性たちから嫉妬を受ける…

このような筋書きだとすると、どうしても、現代の日本で顔の大きな女性が誰からもその事実を指摘されることなくそんなにモテてしまうという展開は、視聴者から不自然だと受け止められると言わざるを得ません。日本では顔の大きさが文字通りドラマの演出上でも「意味」を持ってしまうからです。個人の美の基準を決定するうえで頭部の大きさなど一顧だにされない文化であれば、こうしたことは全く問題にはならず話題に上ることすらないでしょう。

しかし日本ではそうではない。繰り返しになりますが日本では個人の顔の大きさが意味を持つのです。この配役でもしも「ごり押し」しようとすれば演出やストーリー展開の上で追加の説明が必要になるかもしれない。ですので、制作側は最初からそのようなリスクをはらんだ俳優を選ぶことはしないという選択をするのが自然です。100点満点の美人だが顔の大きい俳優よりも、美しさは70点だが顔が小さい俳優を選ぶ方が無理がない。

ここで私はハリウッドの有名な人たちの名前を上げましたが、読者の皆さんの国にもこうした人たちは存在するでしょう。彼らは美男・美女であり、恵まれた容姿で多くの人の尊敬を集めるカリスマ的な存在だと思います。

日本では、そうした存在に求められる重要な要素の一つとして「小さな顔」があるのです。

しかし美の象徴としてではなく、違った方向性の個性を生かして成功するいわゆる「個性派」の芸能人であれば大きな頭部をもっていても成功できる可能性はあります。またしてもハリウッドの有名人を例に出しますが、ハーヴェイ・カイテルフォレスト・ウィテカーキャシー・ベイツといった、美しさを武器にした俳優たちとは別の方向性で活躍する人たちです。日本の芸能界にももちろん、こうした人たちは存在します。

競争の激しい「アイドル」という存在

日本には「アイドル」と呼ばれる芸能人のジャンルが存在します。これは主に10代から20代の前半の男女で構成されています。この「アイドル」たちはより強い、大きな顔を避ける圧力にさらされています。

彼らや彼女たちは常に視聴者からの「あの人は別の人より顔が大きい」といった厳しい審査の目にさらされています。こうした視聴者の意見は広告やテレビドラマ、映画などのキャスティングに大きな影響を与えます。

言い換えれば「アイドル」のジャンルで大きな頭部をもつ個人が成功を収めることは、ほとんど不可能だといっても過言ではないのです。

小顔産業

個人の美を判定するうえで頭部の大きさが非常に重要視される日本では「小顔」を獲得したいと願う人々を対象とした多種多様な商品やサービスが提供されています。

具体的には、通販で気軽に購入できる美容グッズ、エステティックサロン(beauty salon)、医療サービスを提供する美容整形医院などです。加えて、直接的に消費者に製品やサービスを提供する業態のみならず、小顔に見せるための髪型、服装やメイクなどを情報として伝えたり、小顔に近づくための運動や食事のアドバイスをするものなど多岐にわたります。

それはさながら「小顔産業」とでもいうべきものです。

美容整形で小顔になれる?

これは完全に余談ですが、現代の美容整形で顔を含めた頭部を小さくすることは不可能とされています。

もしあなたが芸能人で、あなたの容姿が仕事に直結する立場にあり、美を手に入れるために多くのお金を払えるとしても、美容整形手術で頭部を小さくすることは不可能です。

突出したほお骨や、下あごの骨を削る手術は存在しますが、頭部全体や顔全体を小さくすることは不可能なのです。

言い換えれば「小顔」は生まれながらの、天与の才能といえるのです。

「小顔崇拝」文化はいつから始まったのか?

では、この「小顔への憧れ」の文化はいつから始まったのでしょうか?

これについて私は確実な情報を見つけることができませんでした。これは最初にお伝えした「なぜ」に対しての答えが私にはないという事実につながります。

ですので、これはあくまでも私の個人的な記憶から得た意見にすぎないのですが、1980年代ごろのテレビ番組からこの現象がみられるようになったと思います。

これより以前の時代に「顔が小さいほうが美しい」といった考え方が一般人の会話に登場することはなかったのではないかと思います。同様に、現代と同じく美が重視されていた芸能界においても、明らかに頭部の大きな人たちが美男や美女のポジションで仕事をしていたのです。こうした時代には、頭部の大きさについて論じる風潮自体がなかったのではないかと思えるのです。

終わりに

この「小顔崇拝」がどのようにして、少なくとも30年以上もの長きにわたって日本の文化において支配的な地位を占めるに至ったのか、多くの仮説が存在します。

ある人はこれを西洋文化への憧れであると説明し、西洋人がアジア人よりも小さな頭部や長い手足を持っていることへの憧憬であるといいます。

たしかに、現代の日本では少なからぬ日本人が西洋人への憧れを抱いているように見えます。女性の多くのメイクは鼻をより高く、目をより大きく見せることに注力されています。

いずれにせよ、私は個人的には「小顔崇拝」という現象はあまり良いものとは思っていません。なぜならそれは、個人の可能性を狭め、他人への干渉を強め、社会が個人におよぼす圧力を高めるからです。

しかしながら、この現象の本質がわからない以上、良いものか悪いものかを単純に結論付けることは難しいのです。

いつの日か、日本の美の文化に巨大な影響を与えてきたこの現象が、私よりも才能のある書き手によって明確に説明される日を楽しみにしています。

それはこの記事を読んでいるあなたかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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