事故物件問題は日本人の死生観の問題という話【不動産と高齢化社会】

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Twitterでもつぶやいた件、

「事故物件」について。この記事では私見を述べてみる。

これからどんどん高齢化が進むことは不可避なわけだけど、日本では

高齢者が賃貸を借りられない問題

というのが深刻になっている。

借りられないのはなぜかというと、賃貸物件のオーナーが「貸さない」からで、ではなぜ貸したくないのかというとここで出てくるのが「事故物件」という概念。

事故物件とは

この「事故物件」の問題を理解するために必要な背景は3つある。

心理的瑕疵

人が死んだ部屋は「心理的瑕疵」があると考えられ、取引業者には契約者に対し告知することが義務付けられている。違反した場合は行政処分、刑事、民事訴訟による損害賠償請求の対象になる。これは宅地建物取引業法によって定められている。

事前説明の義務

日本では、過去に人が亡くなった物件は「事故物件」として、その物件を借りることや購入することを希望する人に対して説明することが事実上義務付けられている。なので悪意を持って説明しなかった場合や「ついうっかり」説明を忘れたりした場合でも、もし契約者に後から訴えられたら勝てない仕組みになっている。

部屋で死なれると損害は甚大

もう一つ、自然死・自死・事故/事件による死をとわず、物件で死亡された場合は事故物件になってしまう。後に述べるが日本人の死生観の問題から事故物件は説明を待つまでもなく忌避されることになり、結果として物件オーナーは家賃を大幅に下げて貸し出さねばならなくなり大きな損失が発生する。

もちろんその場で人が死んだことによる物理的な損害も発生する。詳しくは

特殊清掃「戦う男たち」

などの特殊清掃をテーマにしたブログを見てみてください。衝撃的な内容ではあるけど、この記事で取り上げている死生観や神の存在などにも思いを致さずにはおれない内容だと思う。

この記事に話を戻すと、これまで述べたことに加えて、独居の場合に遺品の引き取り先がない場合には遺品処分も物件オーナーが行わなければならず、この費用の負担や処分が完了するまで貸し出せないことによる家賃収入の損失も発生する。

「人が死んだ」部屋を忌避するのは宗教に基づく死生観

ではなぜ日本人は「人が死んだ部屋」を嫌うのかというと、これは言うまでもなく日本における多数派の宗教である仏教と神道がミックスされた宗教による宗教観が原因。

  • この世に恨みを残した魂が死んだ場所に霊魂として留まる
  • 霊魂はしばしば生きている人間(われわれ)に悪いことをする
  • 恨みの有無を問わず感じてしまう(穢れ)の感覚

だけど、超高齢化社会になることが避けられない日本で「人が死んだ」ことをもってして事故物件として扱ってしまっていては多くの人が住む場所がなくなるという問題が起きる。そこで多くの人が「年を取っても賃貸なのは不安だ。やはり持ち家を持っておくべきだ」という不安を抱えており、その不安を払拭すべく住宅ローンを組んでマンションや戸建を購入しているわけだ。

神道と仏教以外の世界線にも触れてみては?

文部科学省による2021年度の「宗教統計調査」によると、日本人が信仰している宗教の内訳は神道系が約8700万人、仏教系が約8300万人がそのビッグ2となっている。双方を合計すると日本の人口を上回ってしまうのは、一人が複数の宗教を信じているという結果。

僕はというと、まさしくこの統計の通りの宗教感の中で育ったと言っていいだろう。いわゆる「ごく普通の日本人」だ。外国人などの異なる宗教文化を持つ人から見れば絶対に違うのだが「私は無宗教です」などと言ってしまうごく普通の日本人だ。

他宗教との出会い

そんなわけで聖書なんて読んだこともなかったし、せいぜいビジネスホテルの電話代の引き出しに入ってるやつ、くらいの認識しかなかった。その認識が変わったのが2004年に公開されたメル・ギブソン監督の映画「パッション」だった。

なんというか、普通にストーリーとして感動した。最後の晩餐でイエスがペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私のことを知らぬと言うだろう」というくだりなど下手なフィクションよりもドラマチックだ。この映画に触れたことでキリスト教という宗教に対するイメージは変わらなかったけども、単純に物語として面白いんだね、という視点を持つことができた。

僕はその後、旧約/新約聖書、イスラム教の経典であるコーラン、そして親しみ深いはずの仏教の経典にも触れてみたのだった。

死生観のアップデート

そして得られたのは

部屋で人が死んだって別に怖くもなんともないよね」

と考える人たちが世界にはいるのだ、という視点だった。

キリスト教を信じる人は、死んだ人は皆、神のもとに行くのだと考えている。上で僕が述べたような神道/仏教的死生観に基づく「霊魂が死んだ場所にとどまる」などという概念はそもそもない。

イギリス人やオーストラリア人とこうした話をしたことがあるけど、話のとっかかりである「霊魂」という概念からして理解してもらうのは難しく、彼らにはそれはハリー・ポッターなどのファンタジーやおとぎ話の設定のような、自分たちとは全く関係のない世界線の話としか受け止められない。

かつては人だった「霊魂」なるものの概念が現実の世界に存在する私たちの社会に影響して法律や契約の概念に浸透しているなどというのは理解できようはずもない。

それはやはり、邪悪なるものと人間との間に神という絶対的存在があるからだろう。

じゃあキリスト教を信じない人はどうなるの?キリスト教徒はそれはどう考えてるの?とかはあるけど、話が広がりすぎるのでこの記事では触れない。まあ人類の歴史を振り返ればだいたいお分かりいただけると思う。

念のため言っておくと、僕の宗教感というか「私は何を信仰しているのか」という宗教的アイデンティティとでもいうべきものは現在でも変わっていない。日本人から「何か宗教を信じてる?」と聞かれたら「いや特にないよ無宗教」と答えるし、外国人から「あなたの宗教は何か?」と聞かれたら「日本の神道と仏教のミックスです」と答える(無宗教だと答えると何かと誤解されて面倒だから)。

正直「事故物件」は心のどこかにひっかかりはあるが普通に選択肢になる

そんなわけで「世界には事故物件などそもそも思いつきもしない人たちがいる」という視点を得られたことで僕の事故物件に対してのイメージは劇的に変わった。それ以前であれば嫌悪感や恐怖から「絶対に事故物件は避けたい」と思っていたけれども、今では「事故物件など気にしない人たち」の視座があるから、まあ心のどこかに違和感の残滓のようなものはあるような気もするが別に気になるレベルではない、という感じだ。

メディアの力が重要

こうした視点って共有できると思っている。ユーチューバーやテレビのタレントさんが事故物件について神道/仏教ではない他の宗教を信じる人たちが持つ死生観と絡めてポジティブなメッセージを送ってくれるだけで状況は大きく変わるはずだと思うのは楽観的にすぎるだろうか。

そのきっかけは僕の場合はキリスト教だったけれども、他の宗教でもぜんぜん構わないと思う。アニメやゲームの世界観のモチーフとして多用されてきた北欧神話などどうだろう。「人は死んだら皆ヴァルハラへ行くのだ」というのも、なかなかかっこよく受け入れられやすいんじゃないかな。

おわりに

今回の記事では、僕が今後大問題になると考えている「高齢者が賃貸に住めない問題」について書いてみた。杞憂に終わればそれでよし。そうでないならこの記事が何らかの役に立てたなら幸い。

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