映画字幕の奥深さ・難しさ【英語の話】【意訳と直訳】

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映画字幕の奥深さ・難しさ【英語の話】【意訳と直訳】

私は趣味と英語の勉強を兼ねて、好きな映画に自分で字幕を付けることがあります(英語限定ですが)。

「字幕を自力で付けられるくらいなら字幕なしで映画を楽しめるんじゃないの?」

と思う方もおられるかもしれませんが、ぜんぜんそんなことはありません。映画を100パーセント楽しめるほどの英語力は私にはありません。100パーセント楽しみたいので素直に日本語字幕を享受するということです。

さて今回の記事では、英語の映画に日本語字幕を付ける際の難しさと奥深さについて私見を述べてみたいと思います。

なお、この記事は英語に苦手意識のない方の方が楽しめるかと思います。

1秒4文字ルール

しかし映画の字幕は難しい。プロの訳者の世界では「1秒4文字」が基本ルールだそうです。自分で実際にやってみると、単に英語の意味をそのまま日本語に訳すのではとてもじゃないけど収まらないことにまず打ちのめされます。ですので元の意味を1秒4文字ルールにのっとって「圧縮」し、意味を伝えるというセンスが必要になることがわかります。

「1秒4文字ルールとかやめて自由にやればいいじゃん」とばかりに文字数を増やすと、今度は読む時間が足りず、とても読めたものではなくなってしまうのです。

適切な表現は時代とともに変わる

レンタルビデオ(DVDじゃないですよVHSビデオテープです)で見た映画を、DVD全盛の時代になって改めて見返してみると違う字幕が当てられており、とても見やすくなっていた、という経験をされたことはないでしょうか。あとは差別的な表現などの現代では問題視されかねない表現についても刷新された字幕では変更されたりということもあります。つまり時代とともに字幕も変わっていく性質があるといえます。

風と共に去りぬ (1939) 原題:”Gone with the Wind”

さてここからは、実際の作品を題材に映画字幕の奥深さと難しさを解説したいと思います。

まずは言わずと知れた「風と共に去りぬ」から。「20世紀の偉大な映画100選」「未来に伝えたい映画100選」のようなランキングにはまず間違いなく入っている作品です。

まずはじめに、少しだけこの作品の中身の解説をすると、主人公のスカーレットは決してステレオタイプのおしとやかな令嬢ではなく、わがままで、自己中心的(エゴイスト)で、計算高く、自身の美貌の価値を知っておりそれを利用し男性を魅了してしたたかに生きる女性です。

こうした特性は人によって程度の差はあれど、女性であれば誰でも本能として持っているもので、それを堂々とあらわにして激動の時代を生きる主人公スカーレットの魅力が時代を超えて多くの人に愛されているのだと私は解釈しています。

私は率直に、スカーレットは映画の登場人物として見ている分にはエキサイティングで楽しい人だけど、友人とか恋人とかだったら破天荒で自己中すぎて一緒にいるのは大変だろうなと思ってしまいます。

ですので「お前、懲りねえなあー」「いや、どう考えてもお前が悪いだろ!」「そりゃそうなるわな」などと苦笑いしながら、ぶっ飛んだスカーレットの生きざまにツッコミつつ見守るのが、私の「風と共に去りぬ」の楽しみ方です(笑)

つまり「風と共に去りぬ」の主人公は紋切り型の善人ではないし、そのストーリラインも、善人として正しい選択をしているのにもかかわらず災難に見舞われて大変な目に合う、といった受け身なものでもありません。この作品の中でスカーレットに降りかかる多くの出来事は彼女自身の選択の結果であって、自業自得と思えることも少なくないということです。

さて、いいかげん字幕の話に入りましょう。

子供を失い、夫にも去られ、親友も失い、何もかも失って打ちのめされるラストのスカーレット。そんな場面でのスカーレットの超有名なセリフがこちらです。

After all, tomorrow is another day

明日は明日の風が吹くわ

直訳すると「けっきょく(どうなろうと)、明日は明日だ、別の日だ」という感じでしょうか。

原文にはない「風」というワードが追加されています。この作品のタイトルである「風と共に去りぬ」の「風」とは南北戦争(1861-1865)を意味しているそうで、この風とともにアメリカ南部の貴族文化は消え去ってしまったというのがこの作品の核になる部分です。つまりたぶん、この日本語字幕をあてた人はタイトルの「風」という言葉をこの日本語字幕にかけたのではないかと思います。

after all」は私のイメージでは、ある種の無力感というか、抗しがたい運命というと若干重すぎるのですが「まあどうしようもないよね」「不可抗力だよね」という若干の投げやりな感じ、そしてごくわずかのネガティブなイメージをともなう表現です。

私の愛読書であるDUO3.0では以下の例文で使われています。「結局、…」という文脈ですね。

The revolution in itself, bore no fruit, after all.

結局、革命それ自体は何の成果ももたらさなかった。

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さてスカーレットのセリフに戻りますが、これはそのまま解釈すれば、スカーレットのどん底からの再起の誓いといった感じにまとめるのが常道というか王道かもしれません。しかしすでに述べた私の「風と共に去りぬ」解釈に準拠すると、これは「ぶっ飛んだスカーレット」の「また破天荒してやるぞ」という宣言だと解釈しています。ですのでこのセリフに対してもちろん私は「お前、本当に懲りないよねえ」と返すわけです(笑)

以上をふまえて、この英語のセリフにどのような日本語字幕をあてるべきでしょうか?近年では別の日本語字幕が当てられているソフトも存在するそうですが、少なくとも70年代生まれの私には「明日は明日の風が吹くわ」がベストなものだと思えてならないのです。

「風」とは通常、人知によって制御のできない自然現象であり、今日は吹いても明日は吹かないかもしれない、そうした不確実性をはらんだものです。ですのでこの日本語字幕はスカーレットの破天荒さとすべてが不確実な激動の時代をたったの一行で表していると思えるのです。

ゴッドファーザー (1972) 原題:”The Godfather”

次に紹介する作品もまた、映画字幕においては直訳が正しいとは限らないという事実を私たちに気付かさせてくれます。

1972年公開の「ゴッドファーザー」。同年度のアカデミー賞において作品賞、主演男優賞(マーロン・ブランド)・脚色賞を受賞しています。

ここでは、この作品のあまりにも有名なシーンを題材に映画字幕の魅力を解説したいと思います。このシーンのセリフは英語ネイティブには非常に知名度は高いのですが、それはTVのコメディアンに限らず幅広い人々によって、ちょっとしたトークの空白をつなぐものとしてこのセリフがモノマネされることで人々を楽しませているからでしょう。

日本のスターに例えるなら菅原文太さんとか田中邦衛さんなどでしょうか。要するにキャラが明快に立っていて知名度も高いために誰にでも伝わりやすくモノマネしやすいということです。

さて、作品の内容です。

全米最大のマフィア組織の首領(ドン)であるビトー・コルレオーネ。彼の息子同様に育てられたジョニーは人気歌手となりますが女性関係でやらかしてしまい、強大な権力を持ったハリウッドの映画プロデューサーを怒らせた結果「干されて」しまい絶体絶命の窮地に追い込まれます。そんなジョニーは父親同然に慕うドンに助けを求めます。

ドンは「心配するな。任せておけ」と実の父親のようにジョニーを温かく叱咤しますが、ジョニーはまだ半信半疑です。いくらドンとはいえあのプロデューサーの意思を曲げられるものだろうか?

そこでドンはこう答えます。

I’m going to make him an offer he can’t refuse.

文句は言わさん

直訳すると「私は彼が断われない申し出をするつもりだ」となるこのセリフ。しかし直訳だとドンが持つ権力の強大さと迫力が薄まってしまい、今一つ伝わりません。

迫力とは何なのか?具体的には他人である「he」を「can not」させてしまうだけの力をドンは行使しうると言っているということ、さらにここでの「he」はハリウッドではなんでも意のままにできる大物であること、という事実がこのシーンのキモだと思います。

個人的には、ここで訳者として落としてはいけない情報は、

  • ドンはすでに高い確度でジョニーのために動くつもりになっているということ(be going to)
  • 会ったこともなく予備知識すらない「he」を「can not」させると言い切るドンの不敵さ
  • ドンはできない約束は決してしない

こうしたことだと思うのですが、これらを「文句は言わさん」とたったの7文字で表現してしまうセンスには脱帽です。

ブロークバック・マウンテン (2005) 原題:”Brokeback Mountain”

28歳の若さで急逝したオーストラリア出身の俳優、ヒース・レジャーの出世作にして代表作です。2005年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、同年のゴールデングローブ賞ではドラマ部門の作品賞、監督賞、脚本賞、主題歌賞を受賞。2006年のアカデミー賞では監督賞、脚色賞、作曲賞の3部門にて受賞しています。

互いに心を通わせ、愛し合ったジャックを失ったイニス。妻にも去られてトレーラーハウスで孤独に暮らす日々。若き日に思い出の場所であるブロークバック・マウンテンでジャックと殴り合いの喧嘩をしたときの血糊の跡が残ったデニムシャツを大事そうにクローゼットに収め、こう言います。

Jack, I sware…

ジャック 永遠に一緒だ

直訳すると「ジャック、俺は本当に…」という感じでしょうか。原文では「…」が末尾に入っていることから、余韻や複数の解釈の余地を残したセリフだと私は解釈したのですが、私が持っている版の日本語字幕では「ジャック 永遠に一緒だ」と、かなり意味を限定した訳になっています。

まず「sware」をどう和訳するかですが「誓う」という意味で使う人もネイティブにはいると聞いたことがあります。しかし神への誓いほど重いものではなくカジュアルな表現だと私は認識しています。

sware」といえば1991年公開の「ターミネーター2」で、少年ジョン・コナーが未来から来たサイボーグであるターミネーターに人を殺すことを禁じる重要なシーンでは、以下のやり取りがあります。

ターミネーター
Why do we stop now?
(なぜここで止まる?)

ジョン
Now, you gotta promise me you’re not gonna kill anyone, right?
(絶対に誰も殺さないと約束して)

ターミネーター
Right.
(わかった)

ジョン
Swear?
(誓う?)

ターミネーター
What?
(何?)

ジョン
Just put up your hand and say, “I swear I won’t kill anyone.”
(手を上げて”絶対 殺さない”と言うんだよ)

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最新のブルーレイソフトなどの日本語字幕がどうなっているかわからないのですが、確か1991年の劇場公開時には戸田奈津子さんが日本語字幕を担当され「sware」は「誓う」と訳されていたかと私は記憶しています。

繰り返しになりますが、まあざっくり、神への誓いほど重くはないがそれなりに重い自己を縛る約束というイメージでいいかと思います。

さて、話を「ブロークバック・マウンテン」に戻すと「Jack, I sware…」をもしそのまま直訳したとしたら「ジャック、俺は本当に…」という感じになります。この作品の最後のセリフの字幕がもしもこれだったとしたら、はたしてどれほどの日本人が、監督や脚本家、そしてヒース・レジャーがこのセリフに込めた意味を理解できたでしょうか?私はこれでは正直難しかっただろうと思います。「最後セリフの…ってなんだよ!」と思ってしまいますね。

このセリフの原文には余韻や複数の解釈の余地があるのではないか、という私の解釈はすでに述べましたが、具体的には以下のような解釈ができると思っています。

  • トレーラーハウスに住んでだらけた生活を送っているけどもう少しマシな生活を送れるよう努力するという誓い
  • ジャックへの永遠の愛を抱いて生きていくという誓い
  • さらに引きこもり度を強めて世間と距離を置きジャックとの思い出だけに生きるという誓い(ちょっと強引)

これはあくまで私の個人的な感想ですが、この日本語字幕をあてた方は、このような複数の選択肢のうちの一つに絞ってそれを「永遠に一緒だ」という日本語字幕に込めた、と理解したらいいのではないかと思うのです。

1秒4文字ルールでは、取りうる選択肢は多くはないのだから。

「ジャック、俺は本当に…」何が「本当に…」なのでしょう。「ブロークバック・マウンテン」のラストシーンの「sware…」の答えは観客に委ねられているのではないかと私は解釈しましたが、この記事の読者の皆さんはどう感じられたでしょうか。

いずれにせよ、映画の解釈とは百人百様でいいのだと私は思います。

おわりに

今回の記事では、映画の字幕翻訳の魅力と奥深さ、そして難しさについて私の考えを述べてみました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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